協働についての問題提起や考えるためのヒント!「協働語録リスト」
行動⇒考働⇒攻働⇒効働
「行動」「考働」「攻働」「効働」の違いとは、
1.行動:参加するだけになりがちな行動
2.考働:目的や役割を全うするためにタイミング良く組織的な行動
3.攻働:付加価値を高めるための積極的な協創を築く行動
4.効働:相互研鑽することでお互いが得々の関係を築くことができる行動
今の恐慌時代を乗り切るためには、お互いが得々の関係を築ける「効働」を考働しなければ、今後のビジネス展開は難しい。
未来に可能性を持って挑戦
『青春とは人生のある期間を言うのではなく、心のもち方を言うのだ。優れた創造力、逞しい意志、炎ゆる情熱を青春というのだ。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時にはじめて老いが来る・・』と詩人のサムエル・ウルマンが言ったように、肉体的年齢を言うのではない。常に夢を持ち、プラス思考で、知恵を出し、工夫し、未来に可能性を持って挑戦する姿を言うように思う。愚痴や弁解をや自己弁護する、さらには自分に負ける、このような姿は、肉体的に若くても「老い」の姿である。我々は、この若さを大切にしたい。死しても「若さ」を常に感じさせてくれるジュリアスシーザーのように。
マルチエンジニアリングになろう
今、産業社会は複雑になっており、1つのテーマだけで生活していては時代の流れに取り残されてしまう可能性がある。 現代産業人が生き残るためには、複数のテーマを持ち生活しなければならない。そのためには、ひとつの考働で複数の目的を果たす多目的考働と、一定の時間で一つのタスクを終了させるタイムシェアーリング(時分割)考働が不可欠である。BSOではこれらを同時並行的に考働することができる人を「マルチエンジニア」を呼んでいる。 マルチエンジニアになることは、いわば現代産業社会では必須事項である。そして、同時並行的に考働することを基本に、「時間単位での考働計画」、「取り掛かれるところからの着手」、「まずは求められている最低水準のレベルで行う」、「時間を決めて作業」、「作業の自由度」などの技術を身につけ、求められるマルチエンジニアを目指したい。
攻働
これからは「考働」の年になるだろう。考働すれば必ず数字が付いてくる。しかし、葛藤や混乱が拡大している産業社会では、いまや「考働」は「攻働」に代わってきている。今の時代は、新時代が求める産業価値を予測、仮説し、そして仕掛け、積極的に協創する考働が不可欠である。これをBSO は「攻働」と呼ぶことにした。「攻働」は、価値をいかに提供するかというところに基本がある。しかし、創造される価値は、たとえ求められたものであっても、体感的に容易に認知されるものではない。「これでもか、これでもか」という積極的な体当たり的な繰返し行う考働なくしては、受入れてくれない。すなわち「攻撃的に考働する」必要がある。時代づくりと健全なトライアングルバランスのための原資づくりのベースとして不可欠な全天候型筋肉質の企業づくりとともに、この時代づくりのための「攻働」にBSO は取り組みたい。
「オンリーワン」から「ワールドづくり」の時代へ
中堅・中小企業のビジネスの時流的テーマとして「オンリーワン」が大分主流となってきている。しかし、最近の特徴的な中堅・中小企業に共通的な動きが見られる。すなわち、従来「オンリーワン」とか「個性的」と言われてきた流れに、「ワールドづくり」というようなものが見られはじめたことである。この「ワールドづくり」という言葉は、30余年前にクライアントの企業づくりで作られた「産業用語」である。昔、「顧客の固定化」ということで「顧客の組織化」や「囲い込み」といった供給する側の論理の動きがあったが、これとは全く異なったものであり、供給する側と提供される側とが「協創」の価値づくりを行い、ともに楽しみや満足感を共有する事であり、「共感される個性」に通じるものであるといって良いだろう。BSOは「ワールドづくりビジネス」という概念を明確にし、「非競争の競争」と「企業市民」で産業社会に生き(活き)ていく企業づくりを基本とし、この理論と技術の構築、そして社会との共存共栄を目指していく企業づくりをこれからもお手伝いして行きたいと思っている。
一人ひとりのチャレンジが組織の成長をつくる
「チャレンジする」という積極的な姿勢を持つことは個人にとっても、組織にとっても成長するために大切なものである。例えば「コストダウン」という命題があるとする。A部長は買い控えを指示、B部長は利益アップのための新テーマにチャレンジし、そのための投資を惜しまないこととした。どちらの事業部の成長性が高いだろうか。買い控えをしても、その結果としての収益を引き下げて利益が少なくなったのではコストダウンとはならない。逆にコストが上昇しても、その結果としての収益がコストの伸び以上に大きければ、利益アップの立派なコストダウンということになる。つまり、本当のコストダウンというのは、A部長のように無駄遣いを無くすこ とではない。B部長のように、たとえリスクが伴っても高い目標に向かって積極的に考働することが大切なのである。こういった一人ひとりの積極的なチャレンジが結果として組織の成長力をつくるのである。
もし壁にぶちあたったら?
人は誰でも壁にぶちあたることがある。壁にぶちあたらないようにするにはどうするか?一つには、本質を理解できるようにしておくこと、本質は何なのかを常に考えられるようにしておくことである。もう一つは、壁を乗り越えたら、次の壁を乗り越える為の準備に入ることだ。壁を乗り越えた瞬間から次の準備に入れば、スランプに陥ることはまずない。これは生き方の技術論といえよう。壁は必ず見える。兆しが幾らでも出ている。「まずいな、そのうち何かあるぞ…」という兆しを感じたら、それを乗り越えるために、先手を打って勉強するのである。また、乗り越えるばかりでは苦しいだけだ。乗り越えたその先の楽しみを予測するとよい。そうすることで、今、与えられた試練に立ち向かうことができるようになる。人は壁にぶちあたることによって成長する。そのための試練だと思い、恐がらずにチャレンジ精神を持って取り組んでいこう。神様は超えられないハードルは与えないものである・・・。
一年の計は元旦にあり
新しい年のはじまりにあたり、皆さんはどのような今年一年の抱負や目標を立てられたのでしょうか。「一年の計は元旦にあり」という言葉がありますが、これは中国・梁代(六朝の1つ)の時代に出来たとされており、日本に伝わった後、江戸時代ごろに「一日の計は朝にあり、一年の計は春にあり」という形に固まったそうです。この意味は、「1 年の計画・準備は元旦に立てるべきである」ということから転じて、「何か目標を持ち行動する前に、まず計画を立てること・準備をすることが大切だ」といわれています。さて、これまで社会は混乱し激動の年が続きましたが、いまや受身ではなく能動的な取り組みが増えてきました。「考働を起こす新時代の到来」です。この「協働語録」でも、この提言にもとづいた話題を数多く提供していきます。本年も我々は新時代に挑戦するクライアントの皆様の時流に乗るお手伝いができればと考えています。BSOは、現代から未来に向かって挑戦するクライアントへの協働支援をパワーアップさせ、次世代経営者・幹部のための「経営塾」、原点を見直す「企業理念研究会」など新企画事業も計画しています。「協働通信」のこの1年のテーマは、「価値づくりの継承」です。「愛」と「技術」をベースに「組織考働力」を最大限発揮する年にしたいと思います。今年もよろしくお願い申しあげます。
相手を想う気持ち
大手企業の人的ミスによるトラブル、飲酒運転などのルール違反、ストレスによる家族や子供がらみの犯罪、熟年離婚など、これらに共通するのは「相手を想う気持ち」が欠けていることが原因のひとつと考えられる。競争や効率ばかりを追求してきたがために人から余裕を奪い、思いやりや優しさを奪ってしまっている。そういえば会社においても、長期的な視点で考える立場にある経営者や管理者でさえ、日々の仕事に追いかけられている。「お客様志向」は上司の指示命令で行うものではなく、本来、実践する人が心から発するものである。お客様から高く評価されている社員は、家庭においても良き父親母親であるに違いない。 日本人は生まれながらに「相手を想うDNA」が備わっている。日本語には昔から「相手を想う気持ち」を表現する言葉があり、「お元気ですか?」「お陰様で」という会話もその一例である。人や仕事に余裕を持って接することが「相手を想う気持ち」をもたらし、その行動は「真のお客様志向」になるのである。「真のお客様志向」を追求するとき、「相手を想う気持ち」が欠かせない。
態度言動は仕事をさせてもらえる大前提
日本社会では、初対面の言動や姿勢で不快感を相手にもたれると、ほとんどの場合、活躍する場を提供してもらえない。無責任な相槌・発言や気持ちのない返事などといった話の仕方、足を組んだり、そりくり返るような座り方など、産業人としての初歩の初歩が、残念ながら自然体で出来ていない人がいる。仕事のスキルも大切だが、それ以前にいくつかの前提がある。ひとつは、お客様や関係者に不快感を持たれるような言動や身なりは慎む。二つ目は、やるべき人に相連報する、タイミングとピントのずれがないように努力する。三つ目は、求められている目的を常に考えて、自分の役割を全うする責任を持つ。四つ目は、指示待ち族にならない。前方待機する。先手行動する。以上のことが自分の判断基準ではなく、共感してもらえるような態度や言動で産業生活が出来るよう自分を磨こう。「協働」はBSOの企業理念です。社内外に関係なく、関係者が一つの目的・目標達成のため分担し、それぞれの持てる能力と価値ある知恵を出し合って実現させることを意味しています。高付加価値労働がますます求められる時代にあって、「協働」の考え方は、BSOだけにとどまらず、人間が人間として持っている能力を最大限に活かし、組織の力として発揮できる企業づくりにとってますます重要な意味を持つようになるものと思われます。このような組織風土にするための語録をBSO流に解説しました。
仕事の報酬は仕事
この言葉には2つの意味がある。ひとつは、専門家として期待に応え、感動を与え、感激してもらい、感謝してもらえる仕事をすることである。二つ目は、依頼者との信頼関係を築き安心して任せてもらえる人間になること、すなわち依頼者に好意、好感、共鳴、共振してもらえるような言動と人間関係を創ることに努めることである。この2つはBSOでいう「クライアントから評価される真面目」と同じ意味であると思うし、大切にしたいと思う。「協働」はBSOの企業理念です。社内外に関係なく、関係者が一つの目的・目標達成のため分担し、それぞれの持てる能力と価値ある知恵を出し合って実現させることを意味しています。高付加価値労働がますます求められる時代にあって、「協働」の考え方は、BSOだけにとどまらず、人間が人間として持っている能力を最大限に活かし、組織の力として発揮できる企業づくりにとってますます重要な意味を持つようになるものと思われます。このような組織風土にするための語録をBSO流に解説しました。
返事の達人になろう
社会の中で活躍の場が広がっていくほど、いろいろな人から話しかけられたり、頼まれるようなことが増えてくる。それにいちいち返事していては大変だということもある。しかし、人はコミュニケーションしない限り、一緒に生活することは出来ないし、一緒に何かをするということも出来ない。話をすることより、話を聞くこと、そして聞いたことにきちんと自分の意見なり考えなりを、直ぐ返事という形で返すことがコミュニケーションでは大切で、ここにコミュニケーションが成立する原点がある。返事をしないことは論外であって、したりしなかったりというのもコミュニケーションが下手といわざるを得ない。返事がし難いときでも、それを伝える工夫と知恵が必要である。これがうまくできるようになったらコミュニケーションが上手ということになる。このようになるには、若いときに出来るだけ意識して返事の練習を繰返し行う必要がある。返事の達人になってますます求められる人になっていこう。
存在価値のある産業人になる
存在価値は、自分から求めるのではなく、求める人に決定権がある。求めている人の評価が気にくわなくて他を探し自分が納得できる人を見つけた場合でも、「相手に決定権がある」。存在性は次のように評価される。
<レベル0>
出来栄えのバラツキが大きいのはたとえ能力的に高くても評価は出来ないし、期待している人に安心感を持ってもらえない。
<レベル1>
約束を守る約束を守れないのは、どう見ても評価はゼロということになる。むしろ、存在そのものが厄介がられる。「守れない」理由には、「実現する方法がわからない」と「わかっているが時間に間に合わせられない」とがある。前者は、実現法を「教えても らう」「調べる」「勉強する」で解決させる。後者は性格を直さないと解決しない。 もしも直さないなら自己破滅になる。
<レベル2>
期待に応えるこの人ならやってくれるであろうと思われている人が、その期待に応えないときの評価は最低になる。思われていないほうがましだが、思われている以上は、「自分に期待されていることは何か」を一生懸命考え、タイミング良く成果を出さないと評価はない。
<レベル3>
感動を与え、深い信頼を得る期待以上に応える人は、感動を与える。そして、相手に感謝の気持ちを持ち続け、深い信頼関係を築いていく産業人が求められている。
考働とは
「考働」とは、目的や役割を全うするために最適な方法とタイミングの良い行動(言動)を一生懸命に考え実行することである。
1)自分で考働できない人には誰かが考働出来るしくみをつくってあげる
(1)形や強制的なしくみをつくる(「仕掛け」を創るという)
(2)まずは機械的でもいいから行動する
(3)行動の面白さを感じるまで続ける
(4)永い時間過ぎても面白さがでてこないときは(1)に戻る
(5)考働する面白さが感じられ出したら、さらに面白くなるような行動を工夫する
(1)(2)(3)が出来たら、だんだん考働できるようになっていく。
2)自分で考働できる人は自分が、やりたいと思っているような担当・役割をやれるような状況や環境に出会うことは少ない。自分に与えられた、自分が今おかれている環境や状況の中で、いかに工夫するかが大切である。まずは、いま担当していることをやり遂げ、その上で徐々に自分のやりたいこと増やしていくといった方向をとることが、結局は自分がやりたいことの環境をつくることになる。
マーケッターによる感動営業
現在は「セールス」ではなく、「マーケッター」が必要な時代である。要はマーケティングが出来る営業が必要な時代なのである。マー ケティングとは「個客と共存共栄する活動であり、如何に啓蒙する活動ができるか」という事である。その方法として体感営業があり、それをさせることが必要だということを営業担当者に教えなければならない。体感営業は実務の話であり、マーケティングとセースルをあわせて行わせなくてはならない。セールスは刈り取りであり、マーケッターは種まきと水やりである。これを分けた企業は成功しておらず、結局は種まき・水やり・刈り取りまでを一人で出来る人財が必要となる。その人財には、「教える・教えられる(知らず欲望・欲求)」や「真の潜在市場(欲求)」「値打ちを教える」という事の必要性を感じさせなければならない。
前方待機
上司から指示されてする仕事ほど、知恵を働かす必要がなく面白くもない。この集団はやがて“指示待ち族”となり、会社にとってはお荷物的な存在となっていくであろう。ところが、後工程を考えた仕事をすると、全体としてスムーズにはかどって効果もあがり、感謝されたり誉められたりもする。自ら考えて仕事をし、それを人から感謝されれば誰でも仕事は面白くなる。同じようにお得意先との関係に置き換えてみる。どうすればお客さまに役に立てるか、自社直接のユーザーからエンドユーザーへの「後工程」に起こりうる予測を立ててみる。それらをいかに対処できるかが、ビジネスのポイントとなるだろう。そのためには必要なデータを察知しなければならない。お客さんの期待に先手をうって応えることが前方待機である。ここでビジネスの力量を発揮できる人は、“お客さまの期待に応えるには何が必要だろうか”、“どうすればお客さまは喜んでくれるだろうか”という仮説を立てながらそれに対処しようとする。その時、予測される一人ひとりのお客さまの顔が浮かんでくるとホンモノのビジネスの仕方であり、これこそ真の前方待機である。現代の人間は、悩み事や不安・不満の解消、そのほかにも色々な欲求がある。これらの欲求、期待に応えるには、会社全体が「前方待機」できるようにならなければこれからの組織体は存続できないだろう。
戦略の成功は社員の成功、失敗はトップの失敗
戦略の成功も失敗も、一見、トップのもののように思える。「経営戦略」はトップの専管事項である。しかし、それを成功させたり失敗 したりすることには、必ずトップ以外の社員の努力度が関係する。「成功」は、その時代の環境に合った戦略を構築することが不可欠であるが、関係者はその戦略をタイムリーに実現させることが出来なければ「失敗」する。すなわち、「戦略の構築」と「戦略の実現」の両方が素晴らしくなければ成功しない。この双方ともトップが責任を持って取組まない限り、成功はない。しかし、「戦略の実現」も並大抵のことではない。特に、殆どの実現の取り組みが既成概念を打ち破っての挑戦になることが多く、その努力は「戦略の構築」と同じ程度の意味がある。このように考えると、「戦略の成功は社員の成功、失敗はトップの失敗」と言ってもよいだろう。
反論ではなく異論を出そう
学問的に研究したり議論しようとは思わない。最近の企業経営で、痛切に感じることがあったので、私の受け止め方を述べたいと思う。 誰かの意見の反対意見が「反論」である。一方、誰かの意見を理解分析し、その人が考え及びもつかなかった切り口と内容をもった意見を「異論」と解釈している。また、反論は、先に述べられた意見を否定し、対立するものとして存在し、ひいてはいずれか多数決等で、いずれかが採択されることになる。異論は、先の意見と止揚して素晴らしい案が創造出来ることにつながる。現代社会の企業経営では、反論か否かで進むのは、極端な言い方をすると、一か八かとなり取り上げられなかった人々からは積極的な協力はもらえそうもない。それに反して、異論は皆の納得と協力が得易く、また関係者の英知を結集した案が創造できる可能性が大きい。新時代に移行している今、全ての企業が新時代に向けて、より多くの人の英知を結集し、新しい企業づくりに取り組む必要がある。このような時期には、異論が積極的に出てくる職場風土、会社の雰囲気にしたいものである。
奇人変人再考
あまり好まれない言葉であるが、私は好きである。私は、この言葉はものの見方が普通の人と違っている人として捉えている。また、既成事実や先入観にとらわれずに考働出来る人であると解釈している。まさに現代に求められる人といって良いように思う。現代、そしてこれからの時代は、新時代の到来といってよい。この新時代で新しい社会を創り、社会貢献するためには、既成事実や先入観に捉われないものの見方や考働が出来る人が必要で、このような人の活躍をいまや待っていると言っても過言ではない。ナポレオン、ヒットラー、ムッソリーニ、スターリンなど過去に独裁者といわれた人々は、私が言う奇人・変人であったのだろうと思う。しかし、このような独裁者を求めるようになってはまた大変であるし、知的レベルが上がった現代でもしもこのようなことがあったら恥ずかしい。 本当に色々な角度でものが見えたり幅広く且つ普遍的に考えたりすることが出来、本質的な議論が行われ、人類のために英断を下し実行できる人が多く存在する社会になって欲しいと思うし、自らそのような人間になるべきだと思う。ところで、奇人・変人は嫌われることが多い。それは、彼らが、周囲の人の嫌がるような言動を無造作にするからである。人に嫌われるような人ではない奇人・変人にお互いになりたいものである。
仕事の質は準備で決まる
仕事の質は、目的や役割を必達するための準備や段取りが、タイミング良くどれだけできているかで判断される。だから、準備や段取りがよく出来ている人の仕事は信頼を得やすい。素晴らしい仕事をするためには、まず、目的や役割を正確に理解した準備や段取りが重要になる。準備の段階でどのような作業を行わなければならないかということを自分で考えなければならないが、自分勝手な判断では正確さにかけることが多い。従って、求められているものと食い違いの無いようにすることが大切である。そのために、準備や段取りは求めている人や関係者に分かるように行わなければならない。それが自分の仕事に対する相手からの信頼やアドバイスへとつながり、お互いにより望ましい結果を出すことが出来る。
「活きる」ことは「考える」こと
新入社員を迎えられた企業もあるだろう。学生とは違い、社会人は問題を自分で見つけて解決していかなければならないし、それがこれからの社会で充実した人生を過ごすための必須要件である。自分が所属する社会や組織において、どのような役割や存在性を持ち、それをどのように果たしていくべきかを考えることが重要だ。すなわち、自分の存在性を果たすことが「活きる」ことである。現代の日本の教育は、考えることではなく記憶する作業ばかりが中心になっ てしまっている。われわれは「学力は最低、テストの成績は最高」という世界の評価を早急にはねのけなければならない。「どうしましょう」と尋ねることではなく、「考えて結果を出す」ことを基本にして、新しい時代における活き方や仕事のあり方に挑戦していくことが大切である。*考えていくステップ
1.自分で参考資料を探して調べる。
2.探して見つからない場合は人に尋ねる。
1)自分が知識を分け与えてもらうに相応しい人物であるかを考える
2)誰に尋ねれば最適解が得られるかを考える
3.自分で考えた結果を提案する。
大切なのは興味を持つこと
会社ではそれぞれ担当分野というものがある。どのような担当分野であれ、会社にとって大切なものばかりである。好き嫌いや、あうあわないで担当を受け止めたり、軽視したりしたら大変である。会社の利益になることを考えながら、それぞれの充実した生き方を模索することが現代人にとっては大切であるといえよう。そのためには、仕事に興味をもつことである。例えば、内勤の社員は、外勤する社員をバックアップすることは勿論、外勤社員が外でどのような役割を果たしているのかを考え、外勤社員を主役にすることに仕事の面白さを見出すことなどが考えられる。そういうことが出来るようになるには、やはり最新の情報なり時代の動向を見極めることが大切となるし、またそれが、面白さを倍加させてくれることになる。
存在性は「感謝」の気持ちに比例する
小売店の店頭だけでなく、あらゆる場面で「感謝」がビジネスの大前提になっているように感じてならない。接客の問題にしても、CS(顧客満足)の問題にしても、この「感謝」の気持ちがなくて、解決することは多分ないのではないかと思う。一人ひとりの顧客に対する「感謝」だけでなく、日々の業務遂行に当たっても「感謝」の気持ちが薄いと仕事が雑になりミスなどが多くなるし、「感謝」の気持ちの入ってない新製品開発やチャネル開発などは、市場の気持ちとの間にズレがでて苦労したり失敗したりすることが多くなる様に思う。確かに、ビジネスでは経済的効率を追求するが、事業が社会の価値づくりである以上、ビジネスには顧客も含めて関係する人々の快適な社会づくり・社会運営に関わる側面がある。この効率性と「感謝」との統合のある企業経営をめざすことは、元来ビジネスの本来的なものであったはずであるし、特に需要と供給のアンバランスな関係が恒久化している現代の企業経営では、その意味はますます強まっていると見たい。
創造できる人間は批判する人間よりもすばらしい
創造できる人は、創造するための基盤になる知的なデータベースを創っていなければならない。そして、沢山の案を考え、「そのなかのひとつ」を世の中に送り出している。本人が意識的に努力しているか否かは別として、他人には見えない部分で大変なことが行われている。それに引き換え、そのような創造したモノや人を安易に批判したり評論したりする人がいる。このように批判したり評論したりする人のなかには、意外と世の中で評判の良い人である場合がある。例えそのような人であったとしても、このような人の努力は、出て来た「モノ」ひとつについての検討結果であり、その結果としてとやかく言っているに過ぎない。評論したり批判したりする人に比べ、創造した人は桁違いの努力をしており、素直にまずその努力を評価したいものであるし、評価する社会にしていきたいと思う。なお、創造されたものを改善改良したり、さらに活かすように努力している人は、批判したり評論したりする人よりはましだが、創造した人に比べるとやはりはるかに劣ると言わざるを得ない。
仕事は役割を果たすための手段である
日本人は勤勉な人種であった。いまでも、真面目に一生懸命働く人は少なくない。まだ、これだけ勤勉に働く人がいるのだから、世の中ももう少し良くなってもよさそうであるが、いやいや一向に良くなる気配はない。やはり、ちょっとどこかがおかしいと思う。どうしてなのだろう。私は、「仕事を真面目に遂行する」ということと「役割を果たす」と言うこととが違うからではないかと思っている。必ずしも「仕事が出来たら、成果が出る」ということにはならないということであろう。それは、必ずしも「役割を果たした」ことになるとは限らないということでもある。組織には、組織が果たさなければならない目的がある。その達成すべき目的のために、色々な部門や人が役割を分担しているわけであるが、その役割をはたすための方法手段として開始された仕事が、時間の経過と共に役割を果たす ことには不適となったり、いつの間にか「仕事のための仕事」化してしまったりしている事が少なくないからである。仕事には、オペレーショナル・レベル、マネージメント・レベル、ストラテジー・レベルのものがあるといわれる。マネージメント・レベルやストラテジー・レベルの仕事は、目的を常に考えておかないと、周囲から見て可笑しかったり滑稽にさえみえる。ところが、オペレーショナル・レベルでは、仕事していると、本人も周囲の人も、外観から「良くやっている」と安直に見てしまう。もっとも他の2 つのレベルの仕事も、お互いに関心が薄いときは、仕事のための仕事になってしまう危険性がある。心したいものである。とくに、効率良く役割 を果たさないと、脱落するきらいが強い現代にあっては、個人の問題では済まされなくなる。
連携プレーの出来る気心の知れた関係を築く
人間は集団を形成する動物であると言われている。例えば、子供達は「集団で遊ぶ」事によって、集団で生活するルールを自然に身につけてきた。しかし、近年では、兄弟が少なくなり個室民族化する事で、集団でいるのが煩わしい動物になってしまった。小さい頃から、相手を観察したり、気持ちを感じたりする場面がほとんど無いために、相手の気持ちが分からないし、読みとる事も知らない。そうなると、連絡がうまくいかないから、連係プレーが出来なくなる。 気心が知れるようにするには、集団生活が一番である。煩わしい事もあるだろうが、月にたったの1~2日程度でもよいから、一緒に寝泊まりしながら、心の観察をする練習をする必要があると思う。それが、組織で仕事をする上で必要になってくる。話が通じない事で、喧嘩が起こったり、意志疎通がうまくいかないような事もある。そういう事が少しでも無いようにしようというのが、集団生活をする目的の一つにある。同じ会社、職場にいて、日常顔を合わせて、同じ仕事をしていても、気心が掴めないから、仕事がうまくいかない。それは、それぞれが異なる育ち方をしているから、ある意味では仕方がない事である。しかし、それを少しでも解消するためには、合宿のようなものを通じて、互いに気心が知れるようにする事が必要である。3~4年経っても気心が分からない事がある。しかし、諦めてはいけない。こういう事が重要だという事を知って努力をしないと毎日が苦痛で仕方がない様になる。
人の話が聞ける-感謝する・活かす-
(1)自分の考え、自分の意見で人の話を聞かない
一生懸命人の話を聞いている素振りをしていても、自分の考え方に合わせて聞いてい ることが多く、相手が何を言わんとしているのかを、理解しようとして聞いているケースはほとんど無い。これでは、「人の話を聞いていて、聞けてない状態」である。自分の考えで話を聞いている人は、話の途中でピントのずれた事を言い出したり、自分の意見を言い出す。本当に話を聞いている人は、ピントの合った質問をしてくるので、話を真面目に聞いているかどうかが分かる。また話の聞き方としては、下手に言葉で表現するよりも、身体全体で関心を示す方が望ましい。 自分の言葉や考えでは聞かない。それが、人の話を聞く場合の絶対的条件である。
(2)感謝する もう1点は、感謝する事である。話を聞いて、話の内容に感謝できるかどうかである。「今まで考えも及ばなかった意見をお聴かせ頂いてありがとうございました」、という感謝の気持ちになれるような聞き方をする事が重要な事である。感謝の気持ちとは一体何か。人にとって嬉しい事とは、感謝することによって、相手 が成長する事への期待感を持てる事である。感謝がなければ、成長への期待感がないし、やった甲斐もない。
(3)活かす 3つ目は、聞いたことを活かす事だ。聞いたことを活かさないということは、話し手からすると反応がないことになり、反応のない人は、後輩であろうと上司であろうと関係なく聞き上手ではない。
アメリカで感じたビジネスのあり方
先々週、アメリカへ研修に行った。参加メンバーは非常に勉強になったと言っていたが私自身も同様であった。「ビジネスの在り方とは何か」と言うことを今回痛感させられた。私はいつも「仮説をたてる」と言っているが、アメリカの企業支援機関はそれを見事に実行している。支援するそれぞれの企業向けの仮説をたて、それを提案することで、支援活動を行っている。自分の考えをしっかりと持ち、企業と一緒になって仮説を創っていく。S氏の会社は現在全世界に50社ばかり得意先をもっているが、そこで今回は「ワンツーワンマーケティング」の具体的な企業への適応や理論の話を聞かされ唸ってしまった。N社では大きく企業を4つに分類し、その企業がどの分類に入るかを分析して、その企業に合ったプログラムを創っている。私個人だけでなく、BSOとしてこのような仕組み を創っていかなければならない。今回のアメリカ視察では、120日で終わらないコンサルテーションなど意味がない、と言うことを再三再四言われた。高松のM社の経営計画を、最近1年から半年にしたが、それでもアメリカの4ヶ月と比べるとまだまだ1.5倍の悠長さである。大きなプロジェクトであっても4ヶ月、それより も小規模なモノであれば1~2ヶ月の間で処理できるようにしていかなければ、世界には通用しないし、タイミングも遅れてしまう。これが世界の現実なのである。 2ヶ月前にもアメリカを訪れた。その時には全く見聞きしなかったモノが今回たくさん見られた。2003 年くらいにはアメリカにおいて在宅勤務者は1/2位になるだろう。現在は2割くらいである。アメリカの景気はいいが、賃金は減っている。これは在宅勤務者が7掛くらいの給料だからである。事務所に机は全従業員の2割程度しかなく、出来ないモノは自然淘汰されていく仕組みである。この結果、アメリカは国として、もっと延びていくだろう。
管理者の成長が企業の成長
人間の成長というのは難しい話ではない。我を通さず、人のためになる事をすることである。但し、お金をもらえずに人の為にするのではボランティアにすぎない。お金を請求しなくても喜んでお金を払ってくれる、それが最高に人の為になる事であり、相手がお金を持って来たくなるような役割を如何にして果たすか、という事が基本である。それが出来る管理者がいない事が、会社の動きに反映し、もたもたしている。会社が存続するためには、ここ数年の間に、それをはっきりさせないといけない時代に入ってくる。これまで、努力した割には利益が上がらなかった事の根底には、管理者の中に「利益の上がる会社にしよう」という自覚が無かった事が問題として上げられる。平均から見れば素晴らしい会社は数多くある。しかし、管理者にその意識がないので、自慢出来る会社になっていない。 自慢できる会社にするためには、常に管理者が中心となって社員一人一人が自覚するように仕向けなければならない。管理者の人間としての成長が、その会社の基本的財産であり、企業の盛衰はそこにかかっている。栄枯・盛衰、どちらの方向に向かうかという事は、管理者の能力・姿勢にかかっている。
人は信じても仕事は信じるな
人間はいろいろな角度から、いろいろな考え方をして行動をとる。人間は自分の素晴らしさに対して行動を起こし考える動物であって、人のために考える動物ではない。このことを知っておかねばならない。人間は自分というモノを大切にするための行動をとるのが常であるからだ。人間は、自分の素晴らしさを正当化する行動をとる。その時には、人をけ落とす、殺すというような対人的な行動はとらない。そこから性善説生まれたのだと思う。しかし、人間が仕事をすれば絶対に間違う。どんなに素晴らしい人間でも間違える。だから、人間の仕事に対しては不信感を持って見なければならない。人間の素晴らしさは100%信じても良い。人を信じることで間違いが生じるのは、自分の論理で人を見ているからである。その人のために、その人がどのように考えているか、どのような生き方をするか、という見地からみれば、人間に対しての不信感は生じない。性善説ではなく、これが「本質」である。どんな人間でも、自分の論理で正しいと思って行動している。客観的な論理では考えていない。これには普遍性がある。相手に対しては自分の論理で考え行動している。しかし自分自身のことになると甘くなりがちである。 自分自身に甘くはなっていても、自分では、これが正しいと思いながら、必ず口実をつけて、自己弁護しながら行動している。それを信じるか信じないかではなく、「まず受け止めてやらなくてはいけない」それが人間を信じようということである。しかし仕事は信じてはいけない。自分はよかれと思ってやっていても、相手の本当の気持ちまでは理解していないし、また思っていたとしても間違いは起こる。それが仕事である。仕事は絶対に間違いを犯すモノである。しかし人間は素晴らしいモノであると信じて間違いはない。
7:2:1の原則
BSOには「7:2:1」の原則というものがある。これは仕事に注ぐ力の配分を示したものであって、7割は今日食べるために注ぐ、2割は明日以降食べるために注ぎ、残りの1割は将来に向かっての種々の可能性を模索するために注ぐという考え方である。「今、何故関西の景気はここまで悪いのか?」ということが、しばしば話題になっている。先日も某経済団体の人達と話し合うことがあったが、その話題に終始した。今日のメシを食うだけではなく企業にとって、将来に向かって挑戦すること、つまり「中長期計画」をたてて、その達成のために考働することが重要なのだが、こうした動きのない中小企業が関西には多すぎるのではないかと思われる。西日本の景気を大きく左右する関西がこのような状態であるということに対しては、BSOも、中小企業経営者に「7:2:1」の原則に則って経営するような働きかけが弱かったと大いに反省するものである。関西には中小企業に刺激を与えるための団体が10程あるが、中小企業の真の起爆材となって いる団体は1、2を数えるに過ぎない。今関西の中小企業に欠如しているのは、将来に向かっての種々の可能性を模索するために注ぐ力であり、これはBSOのいう「7:2:1」の原則の1に該当するものが欠如しているということであ る。関西の経済を活性化することは、中小企業経営者に「7:2:1」の原則に則って考働することであり、この原理原則を守ることが、中小企業が明日そして将来へ向かって挑戦出来る唯一の途であることを提唱していきたい。
社員の扱いは平等でなくなる
BSOでは、産業人を就社社員、就職社員、就給社員の三つに分類している。就給社員とは、収入を確保することを第一の目的で就業する。就職社員は、自分の専門分野を活かせるからその会社の社員になっている。就社社員は、その会社の社会的役割や理念・想いといったものに共感しそのような企業経営にたずさわりたくて就業する。就給社員は、働くことが二次的であって、給料をどれだけ貰うかが最大の関心事である。そのため、会社への貢献とか仕事への挑戦とか言ったことと賃金とを切り離して考えたり、また逆に出来るタイプでは過度の見返りに固執する。すなわち、一般的に、いつも給料は安いという思いが強いようである。就職社員は、一般的には自分の腕が商品であり、また自信を持っている。自分の腕が発揮できないような会社になったら自分の腕を発揮する仕事を執拗ように求めたり、簡単に会社を去っていく。なお、就職社員は、向上心や負けん気が強く、腕を磨くために自分で投資したり優秀な先輩のノウハウを良い意味で盗む。就社社員は、自分の会社が好きである。そこで働く事に生き甲斐と充実感を味わう。経済的欲求が一般的に弱かったり、自己犠牲をあまり意識しない。どん欲さがないので、放 置すると経営的には扶養家族になりかねない。理念や想いの共有化する機会を適度に持つことと会社への貢献意識を持たせることが重要になる。このように3つに分類される社員の扱いは、雇用は勿論、育成の機会など人事労務の色々な場面で、それぞれの特性に応じて異なった処遇を受けることになっていくであろう。
責任と努力は産業人としての必須常識
産業社会で生きていく人間が、生きていけるか否かが決まるのは、存在できる能力があるか否かがスタートではない。それ以前に産業社会で受け入れてもらえるか否かが、まず第一の要件と考えるべきであろう。その第一の要件としては、いろいろと意見があるだろうが、BSOでは「責任」と「努力」がそれだととらえている。まず第一の「責任を果たす」とは、約束あるいは期待されたことを、約束の(期待された)期日・時間までにやることととらえている。責任という言葉自身がぼやけていて曖昧に捉えられているが、具体的な方法、行動のレベルで正しく理解しておかないと、いかに自分が責任を果たしていると思っていても、 期待した人から見れば果たしていないということが結構ある。お互いにお互いが共通理解していないと大問題となる。もう1つの「努力」することであるが、「努力した」ら何らかの形で変化が現れることになる。努力しようとした分野で、周囲から見て変化したと見られるような状態になければ努力したことにはならないと我々はとらえている。このように、我々は、産業人としての最低の常識としてとらえられる「努力」や「責任」を行動レベルで受け止め、実際に努力し、実際に役割を果たしていきたい。
一見ムダと思える仕事が大切
右肩上がりの成長のときや、作業レベルの仕事では効果を出していた効率追求では、最近は問題の解決が出来ないことが多くなってきた。すなわち、現状から飛び出すような発想が求められることが少なくない。現状から飛び出せるような発想は、そのような感性を持った人間に固有の仕事のように思われるきらいがあるが、現代に生きる我々は、誰でもこのようなことが出来るようになっていかないと大変だ。現状から飛び出すことが必要なときなどに、我々は一見ムダと思えるような作業をたくさん行うようにしている。たとえば、職場の改善などで観測データを検討し改善設計する際など、分析の効率から言うと設計に必要な結果のみを得る事だけを考え、それに必要な手法を最小限に使って分析作業を行うことが少なくない。このような進め方でもそれなりに成果の出せることが少なくないが、一般的には「% 」レベルか、せいぜい「割」のレベルの改善である。ましてや過去の延長線上での話になりがちである。われわれは、このような分析・検討・改善設計 を行う際、色々な角度から「活かせる」分析作業の1 0 倍の作業を行うようにしている。すなわち、9 / 1 0 の作業はムダに終わることになる。このような作業 を実践するようにしていると、意外な分析結果を導くことがある。このようにムダと思える作業をすることは誰にでも出来るし、このムダな作業をしながら色々な切り口で考えるようにすると、誰でもが「現状から飛び出す」ことの出来る発想が可能になる。
収入は社会的存在性の代用特性
給料や報酬は、自分達の一方的な努力の結果だと思っていることが多いように思う。社会から認められた評価の大きさであるとの受止め方が重要ではないだろうか。社会での存在性が小さければ少なくなるし、大きいと多くなる。また、社会が一度存在性を認知したからといって、それが半永久的に続くものではない。社会から存在性を認知し続けてもらえるためには、そのための努力を継続することが不可欠である。高くくれたらー生懸命働くとか努力するということも勿論だが、努力もせず言われたらします式で給料は人一倍貰いたいは論外であるとしても、これだけ自分は一生懸命やっているのに給料が安いというのも本来おかしな話しである。すなわち、払う人は要求されたから払うのではない。お金を払うということは、払う人にとってどれだけ払う値打ちなり意味があるかということである。値打ちなり意味なりがなければ値切ることになるだろうし、あるいは値打ちなり意味なりのある人に交替してもらうような行動をとることになる。労働力が不足している時代には分かりにくいこの本質も、不況や余剰化した昨今のなかでは誰れでも理解できることだ。
目的を考えていない仕事は意味がない
日本人は、バタバタと忙しく働くことことが多いように思う。忙しく働くことが素晴らしいと評価されたり、嫌な顔もせず残業するなどといったことは、一度考え直す必要があるように思う。方法が適切でなかったり、悪かったりして結構時間がかかり、いわゆるバタバタする結果になっていることが良くある。これは、方法手段を工夫したり創造したりする技術、たとえばVE、IEなどを実践的に学ぶことによって大分良くなる。また、計画のたて方が悪くて、バダバタする事も少なくない。効率よくスムースに仕事が出来るか否かは、段取りや準備も含めて作業計画のたて方の上手下手で大きく差が出てくる。計画を立てることは、「効率の良い作業の仕方を考える」と言っても良いぐらいの意味があるように思う。組作業や連合作業、あるいはネットワークといった工程編成の技術は、巧い計画を立てるときに結構役に立つ。我々がバタバタしている一番多い要因は、なんと言っても、目的を考えずに無駄な行動や余分な行動、あるいはピントのずれた行動をしてしまい、多くのロスを生み、結果として多くの作業をすることになり、いわゆる「バタバタ」と忙しく働いている姿になっていることだと思う。「なぜこんなことをしたのか」といった問いかけをしたりすると、意外に「目的」の捉え方に食い違いのあることが多い。目的を正しく捉えたり、目的を明確にしたり、あるいは食い違いを起こさないようにするためには、機能設計、機能展開、機能体系図などといった手法が役に立つ。
事業は社会の価値づくり
事業は、元来お客様あって成り立つものである。それも、お客様がお金を払う値打ちがあると認めてくれることで継続することができる。いま多くの企業が存続するための努力をしているが、言い方を変えれば、存在性を問いかけられているということができるであろう。企業として、①価値づくりのための企業運営(経営)になっているか、②社会的価値づくりという観点から社員が仕事しているか、③自分たちの生き残ることのみを考え、お客様を無視したり反社会的行為を行うことに平気になっていないか…など、経営や仕事する姿勢についても再確認する必要性も感じる。また、このようなこととともに社会にとって自分たちが営んでいる事業はどのような意味なり意義なりを持っているかについて再考する必要があるように思う。BSO では、よく「お客様のお客様」という言葉をロにする。直接取り引きしている「お客様」は経由者(たとえば流通機関など)であって、提供する商品の価値を享受する、いわゆる本当のお客様でないことが少なくないからである。私たちは、自分たちの「真のお客様」は誰なのか、また「真のお客様」は何を求めているのか、それに応えることが事業の基点であると捉えている。BSO では「真のお客様」が求めているものを創造し提供することを「価値づくり」として捉え、より多くの「真のお客様」へ価値の提供が出来るように努めることを「社会の価値づくり」といっている。さらに、お客様から満足の対価を得て、共存共栄して初めて事業が「社会の価値づくり」であるということができる。
「得得」の関係がお互いを活かす
商売の場面だけでなく、日常生活でも時々耳にする言葉に「損得」というものがある。すなわち、本来はこのような使い方をする言葉ではなかったのであろうが、最近は、利害関係を表す言葉として使われることが多いようである。さて、私たちは、「得した」ときは満足し、「損をした」ときは悔しがる。今までは、損をしたときは、「今度は得するように頑張ろう」というように考える人が多かったように思う。ある意味では社会の元気印の一つの要因にさえなっていたのかもしれない。ところが、今世間を騒がせている野村証券や第一勧銀の話題などに見られるように、最近の「損得」の話は、「得する」人はずっと「得」をし、「損する」人はいつも「損」をし、また望ましくないことに、「得する」方法そのものが「反社会的」であることである。確かに、経済活動には利害関係が伴いがちである。むしろ、経済関係は利害関係の下に成り立っているとさえ言えるのかもしれない。しかし、この「利害関係」が付き纏うビジネスや人間関係は、どうもBSO が提唱している「事業は社会の価値づくり」という考え方を軽視することになりかねないだけでなく、他を犠牲にした自分(達)だけの満足になりがちになり好感が持てない。「損得」ではなく、BSO ではお互いが満足し合えるような価値づくり、「得々」の関係で仕事することを目指している。 例えば「1.お互いの共存共栄をめざして仕入先と協働してコストダウンする」「2.お客様により満足してもらうために、お客様にも協力してもらう」「3.お互いが気持ちよく仕事が出来るようにする」このためには次工程の作業がスムースに行くことが一番で、そのための努力を次工程職場と協力しあう。…このようなことをBSO では「得々」の関係づくりと言っている。
自己投資がその人の未来を創る
世界的にコスト競争が行われる現代、会社がお金を出して社員教育する余裕は無くなってきている。元々、企業の負担で行う社員教育は、企業が必要とする実践的能力がある社員を確保することが難しい時代の便法であったとも言える。教育機関の充実と機会の均等化、自己啓発材料の豊富さなどで人材確保が比較的容易になった今日、企業にとっては手間暇かけて育成するより、必要なときに必要な人材を社外から、それも世界的範囲の中で調達した方が即効性があり確実である。このような時代的環境の中で、企業の負担による人材育成に甘えていたら、活躍する機会を逃すだけでなく、自分の存在性すら無くしてしまうことになりかねない。現代、そしてこれからの時代に生きる産業人は、社会から求められる人材となるために自分の負担でどこまで自己啓発できるかが重要になってくるであろう。